2020年3月12日に行われた東京都予算委員会において、都議が「子供の権利と都立高校の校則」について質疑を行う中で、「なぜツーブロックはだめなんでしょうか」という質問に対し、東京都教育委員会の教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがあるため、生徒を守る趣旨から定めているものでございます」と返答しました。
このやりとりが話題となり、テレビやネットで多く取り上げられました。
今回は、ツーブロックがなぜ校則違反なのか、という問題に対して私の考えを書いてみようと思います。
日頃から出来るだけ中立の立場で記事を書こうと心がけていますが、今回はほんの少しだけツーブロックの当事者である学生側に加担した記事にしてあります。
現役の学生さんに読んで頂けると嬉しいです。
大人の方は、暇な美容師がなんか言ってるな、くらいの寛容な気持ちで読んで頂ければと思います。
〜目次〜
・学校に校則がある理由
・ツーブロックが禁止になった理由
・ツーブロックで学校へ行きたい理由
・ツーブロックで登校する方法
・最後に
早速はじめます。
・学校に校則がある理由
現在の学校教育は、1〜2人の担任の教員が数十人のクラスを受け持つといった、仕組みが取り入れられています。
少数の教員が多数の生徒を教育するという仕組みは、多くの人々に教育を与えるという目的においてとても効率が良く、コストも抑えられることから、明治4年(1871年)からほとんど変わる事なくこの仕組みのまま現在に至ります。
この仕組みは、もともと国民の教育水準を効率よく上げることを目的としているので、一個人のために手厚い教育が与えられる場、として設計されたものではありません。
そのため、学校は学校を運営するために必要なルールを設け、原則として生徒は国内の法律と校則を守る事が義務付けられています。
ところが、規則で全体をコントールしようとする仕組みは、刻々と変化を続ける時代の流れに対して、迅速に対応する事が難しいといった弱点をもちます。
仕組みそのものを変えずに、個人や社会の多様な変化に対応するためには、規則を増やす以外に方法がないのです。
ブラック校則のような頓珍漢(とんちんかん)なものが生まれてしまうのはそのような理由からだと考えます。
・ツーブロックが禁止になった理由
学校がツーブロックというヘアスタイルを校則で禁止にした最も大きな理由は、素行に問題のある生徒にツーブロックが多いため、服装違反にツーブロックという髪型を加えた、ということだと思います。
ツーブロックという髪型だけを見て、ファッションなのか、身だしなみなのか、反抗の意志なのかを、明確に判断することはできません。
ですが、ツーブロックを校則で禁止にすると、校則を守る生徒はツーブロックではなくなるので、規則を守らない生徒は判別しやすくなります。
つまり、「ツーブロックという髪型だけがなぜ駄目なのか」という髪型の問題は実はどうでもよく、単に「ルールを増やすことで”反発意識のありそうな生徒”を見つけやすくなる」 というのが学校側の本当の意図なのではないか、と私は考えます。
前述したように、学校は一個人のために手厚い教育が与えられる場として設計されている訳ではありませんが、人権が尊重されている日本国内において、公的機関である学校が、個人よりも組織運営を優先する全体主義であると公言することはできません。
学校の建前(個人の尊重)と本当の意図(全体主義)が乖離しているため、学校側は「規則だから」で押し通すか「事件、事故に遭う可能性がある」という個人の安全を名目としてお茶を濁すしかなかった、と私には見えました。
・ツーブロックで学校へ行きたい理由
ココ・シャネルの黒のショートドレス、ヴィヴィアン・ウエストウッドのパンクファッションは、それまでのファッション様式とは違った自己表現、人権の主張として誕生しました。
当時の社会通念を同調圧力と捉えるなら、それらはきっと反発的な態度であったと考えられます。
それでも、シャネルやヴィヴィアンの生み出したファッションは、反社会的と叩かれながらも、共感を生み、広がり、定着し、今では当たり前のファッションとして受け入れられています。
ただ、ツーブロックで登校したいという気持ちは、社会通念へ向けた人権の主張とはあまり関係が無いような気がします。
校則違反をしてまで、カッコよく思われたい、自分を変えたい、影響を受けた人物を真似してみたい、といった衝動は、人権の主張というよりは”承認欲求”と呼ばれるものではないでしょうか。
自己表現という意味において、人権の主張と承認欲求は一見同じように見えますが、大きな違いがあります。
人権の主張は「わたしの主張は社会に認められるべきである」という確信を持って行なわれる事に対して、承認欲求は「わたしは何者なのか」といった確信の無さが行動に起因します。
学生が校則違反をしてまでツーブロックで学校へ行きたい理由は、ファッションを通して人権や思想を訴えたシャネルやヴィヴィアンとは全く逆の心理なのではないかと私は思います。
・ツーブロックで登校する方法
私は、校則だから諦めろと言っているわけではありません。
承認欲求を卑下しているわけでもありません。私にもあります。
しかし、学校側の「規則だから」と生徒側の「自由を認めろ」の議論では永久に平行線です。
ツーブロックで登校したいのであれば、それを可能にするためにはどうすればいいかを、戦略的な思考で挑んでみてはいかがでしょうか。
「戦略的思考とは何か」(岡崎久彦)という本の中に戦略的思考とはどのようにあるべきかを次のようにあげています。
1・客観的であること
2・柔軟であること
3・専門家の尊重
4・歴史的ヴィジョンの保有
以上を踏まえ、もしも、戦略的思考で学校が決めた校則を自分達の力で変えることができたなら、その経験は以後の人生において大きく役立つに違いありません。
お節介ついでに、戦略のアドバイスを一つだけご紹介したいと思います。
これは、当店のお客様で女子高校生のAさん(生徒会長)が、数十年間変わることのなかった校則を変えた実際のエピソードです。
Aさんの通う高校は、学校行事のメインイベントである文化祭が隔年で行われていました。
生徒会長でもあるAさんは、生徒会長に立候補するにあたり、文化祭を毎年行えるようにすることを公約として掲げてしまったため、当選後は公約実現のため奔走することになります。
軽い気持ちで口走ってしまった公約でしたが、考えてみれば歴代の生徒会長が幾度となく挑み敗れていった難題です。そんなことが本当に自分にできるのか不安になることもあったそうです。
それでもAさんは試行錯誤を繰り返し、結果的には絶対不可能と言われていた校則を変え、文化祭を毎年行うことが可能な年中行事化に成功しました。
私はその話を聞きながらとても感心しつつ、どうしても気になったある質問をしてみました。
「校則を変えるために一番効果的だったのはどんな作戦でしたか?」
彼女はこう言いました。
「先生と仲良くなることです。」
私は思わず「凄い!」と声を上げていました。
"交渉相手と心から仲良くなる"という戦略は、相手を騙したり、お世辞を言ってご機嫌を取る事ではありません。
お互いに理解し合う関係を構築し、相手にこちらの意図を共感してもらいやすい環境を作る、という戦略です。
この戦略は、時間も労力もかかり、仲良くなったからと言って交渉が上手くいくという補償はありません。それでも、Aさんがその方法を信じ、とにかく仲良くなろうと進み続けた結果、目的を成し遂げたという事実に私は感動と勇気をもらいました。誠意を尽くせば互いに分かり合えるという信念がなければなかなかできる事ではありません。
いやいや、文化祭はよくても、ツーブロックは無理でしょ、と言う人もいるでしょう。
しかし、”交渉相手と心から仲良くなる戦略”で敵を味方につけることができたなら、私はワンチャン(可能性が)あると思います。
実際に服装の自由が認められている学校はありますし、先生のなかには校則から外したいと考えている人もいるかもしれません。
・最後に
私は、報道されたツーブロック問題の本質は話題性を狙ったパフォーマンスだと思っています
人権問題と勘違いした(もしくはすり替えた)質問をすることで、義務を果たしているというアピールをしたい議員と、ツーブロックを安易に校則違反としてしまったことで、生徒への個別の対応にあまりやる気がないことが露呈してしまった学校側が、とくに着地点の無い討論をしているところを、マスコミが話題性だけを目的に過剰報道した、という構造にしか見えません。
学校と生徒、体制と反体制、二極化してしまったそれぞれの立場の感情を刺激し、対立を際立たせるような報道は人の目を引くので視聴率も取れます。
感情的になって相手を批判するだけでなく、前述したAさんのように、まずは戦略的にでもいいから仲良くなろうと努力し、その結果二極化を繋ぐパイプになれるような人物が、今の社会には圧倒的に足りません。
そんな人物がこれからの未来に登場してくれることを切に願います。
やり方次第ではツーブロックで登校することも可能です。学生のみなさん頑張って下さい。
私もカッコいいツーブロックを提供できるように日々精進してまいります。
とても長くなってしまいました。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
可能性をもった若い人々が、社会に幻滅せず、将来に希望を持てるような気持ちになれたらという気持ちからこの記事を書いてみました。
職業柄、ヘアスタイルの観点からツーブロック禁止という校則の矛盾を指摘することもできました。
しかし、そういう揚げ足取りの議論が不毛であることに、私も含めそろそろ気付かなくてはなりません。
今回は、二極化してしまった対立構造を、勝ち負けでなく、どうやって仲良く和解させるかを考えるきっかけとして、ツーブロック問題を例に考えてみました。
ご清聴ありがとうございました。