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動物の知性にせまるノンフィクション『アレックスと私』を読んで療育について考えたこと

 

 私は小学生の頃、近所に童話"桃太郎"を暗唱するインコがいると聞き、期待に胸を膨らませ見に行ったことがあります。

 飼い主のおじさんの手に乗ったそのインコは、一見普通のインコでしたが、しばらくすると唐突に喋り始めました。

 

「…ムカシムカシムカシ…オジーサント…オバーサンハ…ドンブラコードンブラコー…」

 

 冒頭からお爺さんもお婆さんも川に流されてしまうとは衝撃の展開だな、と思いつつ、インコが正確に物語を暗唱するのは難しいことなのだろうと感じていました。

 ”オウム返し”という言葉があるように、たとえ鳥類が人間の言葉を喋ったとしても、聞こえた言葉を真似ているだけで意味を理解している訳ではない、という先入観を持っていたのは私だけではないと思います。

しかし、私は『アレックスと私』を読み、考え方を改めなければならないと思うようになりました。

そればかりか、今ではあの桃太郎のインコも人間のユーモアを理解した上でネタとしてあれをやった可能性がある、と疑っているくらいです。

 

 あらすじ

 ヒトと鳥は、人間の言葉をもちいて交流できるのか。はるかな目標を掲げた研究者が出会ったのは、のちに「天才」と呼ばれることになる一羽のヨウム(大型インコ)だった。50の物体の名前、7つの色、5つの形、8までの数を学習し、個性的な性格と知性で人々を魅了したアレックス。ともに逆風が吹きすさぶ学界を切り開き、「アイ・ラブ・ユー」の言葉をのこしてこの世を去るまでの旅路を描き出す、1人と一羽の感動の実話。

 

本作『アレックスと私』の作者アイリーン・M・ペパーバーグとアレックスの実際の映像がこちらです。↓

 

 

 

動物の知性に近づけた理由

 

 1977年、思考をするためには言語が必要であり、動物は言語を持たない、よって、動物に思考は不可能である、と考えられていた時代、作者はヨウムのアレックスと共に、鳥類の持つ驚くべき知性を次々と明らかにしていきます。その方法とは、従来の動物研究とは全く違うものでした。

 当時の動物研究は、対象の動物を体重の80%まで飢えさせ、食べ物を報酬刺激として受けやすくしてから行われていました。対象をいくつかのスイッチのある箱に閉じ込め、課題がクリアできれば食べ物がもらえる、といった実験をスムーズに行うためです。

 しかし、作者はその方法を用いる事はせず、まず対象の動物が求めるものを考察し、対象の欲求に応える形で研究を進めて行く方法を用いました。

 つまり、対象の知的反応を人間が期待するように強制的に導き出すのではなく、対象の自然な知的反応を導き出すために、対象の感情や欲求を優先したというわけです。

 私たちは、日常において、出来るけれどもやりたく無い、強制されればされるほどやりたくない、といった感情を抱く事があります。

 作者は、動物にもその感情があり、その感情を理解し受け入れ、互いに信頼関係を築くことが出来たならば、対象が持つ潜在的な知性にさらに深く触れることが出来る、と考えました。

 そして、その方法は成功し、研究の成果は数々の学術誌に掲載され、結論としてヨウムにも人間と同じような感情や知性があることを証明してみせました。

 

 

 

ヨウムの研究から見えてきた自閉症の療育のヒント

 

 私の息子は重度の自閉症なため、発語によるコミュニケーションが困難です。

 知能と言葉をどのようにして繋ぎ合わせるか、という課題は私たち親子にとって恒常的な課題でもあります。そのような理由から、本作における作者とアレックスの取り組みは、療育の参考になるものがいくつもありました。

 ひとつは、相手には自分が想像する以上の理解力がある、ということを仮定する、もしくは想像する、ということです。

 「やって」と言ってやってくれない相手に、わかるように言う、強調して言うことは、一見当たり前のことのようですが、うまくいくことばかりではありません。

 そんなとき、作者がアレックスに向けた姿勢のように、相手の状況を丁寧に想像するというプロセスはとても重要です。

 相手が理解力がないから出来ないのではなくて、理解は出来ているけれどもやらない(やれない)理由があるかもしれないと想像する、という姿勢は、療育に限らず人との関わりにおいても重要であると感じました。そして、その姿勢はお互いの信頼関係を築く上でも大きく役立つということを本作は教えてくれました。

 

参考になったもうひとつの点は、知性とは簡単に判定できるものではないということです。

あとがきにある京都大学白眉センター 鈴木俊貴教授の解説にはこうあります。

 

本書を読んでいて、アレックスの能力にはただただ感心してしまうのだが、「そうか、ヨウムって5歳児並の知能があるんだな」などと安直に結論づけてはいけないと私は思う。ヨウムはもともとアフリカの森林に棲む野鳥であり、自然界では人間と関わりのない動物だ。そもそも鳥と人間とでは身体的特徴が全く異なるし、物の知覚や認識の仕方にも違いがある。そんなヨウムを人間の世界へ連れてきて、人間の言葉とその意味を教え込んだ結果、人間の考案した課題を5歳児レベルでこなせるようになったというのが、研究の正しい解釈である。この限られた実験からヨウムの認知能力のすべてを知ることはできないはずだ。ひょっとしたら、研究者が思いついていないだけで、ヨウムにできて人間にはできないような課題もたくさん存在するのかもしれない。

 

鳥類と知的障害者を同列に語るのは適切ではないと感じる方もいらっしゃるかとは思いますが、どちらの尊厳も尊重し、どちらも未知の分野とした上で、この解説に書かれている事を、私は前向きな解釈として受け取りました。

国内における知的障害者の重度判定、療育判定は、知能テスト、面接、モニタリングによって行われますが、知的障害者の知性や可能性をそれだけで判定するには不十分である事は間違いありません。それでも知的障害を持つ子どもの親は、「ふつうならできること」「当たり前のこと」という言葉にとらわれてしまうあまり、強要したり、落胆を繰り返してしまう事があります。

しかしそれは、ヨウムに人間の考案した課題を与えるような、自身の基準だけで相手の能力を計ろうとする行為なのかもしれません。もっと多様な想像力を持ち、柔軟に、あらゆる方面から療育へのアプローチを試みることに、療育の可能性があると改めて感じました。

 従来のセオリーから外れるという事は勇気が必要です。的外れなこともあるでしょうし、とにかく時間もかかります。

 だからこそ、常軌を逸した研究と揶揄されながらも、相手の感情を想像することを重視し、鳥類の持つ知性を信じながら、困難な道を歩み続けた作者の姿勢は見習うべきであると思いました。

 同時に、最短で結果を出すために用いられる方法は、往々にして飢えさせ箱に入れるといった短絡的な方法になりがちであることも忘れてはいけないと思います。

 

 

最後に

 

 本屋で偶然出会った本ですが、今の自分の療育や将来の不安を払拭してくれるような気持ちのよい読後感でした。

 研究論文というよりは、作者とアレックスの物語としてとても読みやすい作品です。

 生物学に興味がある人、言語学に興味がある人、研究職に興味がある人、可愛いヨウムに癒されたい人、きっと読む人それぞれに楽しめるポイントがあるのではないでしょうか。

 

 ちなみに、ヨウムはいくらで購入できるのかを調べてみると40万円でした。高っ!!

 

 

 

アイリーン・M・ペパーバーグ『アレックスと私』2020年 ハヤカワノンフィクション文庫

 

 


 

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