日本国内のひきこもりの総数は100万人とも200万人とも言われています。
このままひきこもりが増え続けたら、日本の社会は崩壊してしまうと危惧している人もいるでしょう。
ところで、人間以外の社会でも、引きこもりは存在するのでしょうか?
『働かないアリに意義がある』という本には、アリの社会についての研究が書かれています。
読んでいてまず驚かされたのは、一つのコロニー(巣)の中で、働いているアリはたった全体の3割ということです。他の7割は休んでいるそうです。
休んでいる7割のアリは働くべき時が来るまでは、基本的に休んでいるか遊んでいて、働いている3割が休んでいる時の余力として待機しています。
面白いのは、待機したいからしているというよりは、元気なアリに仕事を取られてしまって、結果的に何もする事がない状態になっているということです。
さらに、アリの社会には階層的情報伝達システムが無いため、親や上司のようなものは存在しません。女王アリや先輩アリが指示を出すことはないそうです。
基本的に目の前に仕事があれば、個々の判断で動きます。
例えば、遊んでいたアリがたまたま大きな獲物を見つけます。
そこにたまたま近くにいたアリがそれを手伝い、それが波及して、突発的にチームができます。
瞬時にリーダーが決まりますが、状況に合わせてリーダーはまた瞬時に交代します。
獲物を巣に運んだらそのチームは解散です。
命令系統が無いと、全体がまとまらない、作業効率が悪い、と思うかもしれません。
しかし、その場にたまたま居合わせた即席のチームの方が、上意下達に時間を奪われずにすみ、作業効率が良い、というケースがあることが判明しました。
これは、不慮の事象が起きた際にも、常に労働力を総動員しないことで、全滅を防げるという側面も併せ持ちます。
最悪を防ぐという生存戦略において、とても正しいと選択と言えます。
この部分を読みながら、私は、もはやこちらの社会の方が、私達の社会よりも優れているのでは、と思うようになっていました。
人間社会の引きこもり問題において、大抵の取組みは、技能習得や自立を促す方法になりがちです。もちろんそれが、効果を生むこともあるでしょう。
しかし、"社会の余力"といった考え方は聞いたことがないのではないでしょうか。
問題を悲観する事は簡単です。ただ、悲観的に考えるよりも、見る角度少しを変えてみることで、取り組み方は変わるかもしれません。
ひきこもりは、いざという時のピンチヒッターと思ってみると、頼もしくも感じるし、そこから何か新しいアイデアが浮かびそうな気もします。
長谷川英祐『働かないアリに意義がある』(2016,6,17)株式会社KADOKAWA