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ウィリアム・フリードキン監督「エクソシスト」を観て、知的障害の息子を持つ私が考えた事

 

先日、午前十時の映画祭にて『エクソシスト ディレクターズカット版』を観てきました。
人生ベスト級に好きな映画ですが、これまで劇場で鑑賞する機会は無かったため、「この好機を逃すわけにはいかない!」ということで映画館へ足を運びました。

改めて観た感想ですが、何度も観た作品であるにも関わらず、まだまだ幾つもの発見があり、作品の持つテーマの深度と、細部に渡る完成度に"改めて"感心するばかりでした。

オカルトホラーエンターテイメントの傑作として名を刻むこの『エクソシスト』という作品を、知的障がいを持つ息子と暮らす私がどのように見たのか、どのように考えたのか、今回はそのことについて書いてみようと思います。

 

内容紹介

封切られるや大反響を呼び、絶大な支持を得た『エクソシスト』。後の映画に多大な影響を及ぼしたオカルト映画の最高峰は、今観ても独特の禍々しさを湛えている。悪霊に取り憑かれたあどけない少女、少女を必死に救おうとする母親、そして究極の悪と戦いながらも、かたや半信半疑、かたや不動の信念を持つ2人の神父を描いた、恐ろしくもリアリティー溢れる物語は、常に観る者の度肝を抜いてきた。一大オカルトブームを巻き起こした『エクソシスト』。他の映画では味わえない究極の恐怖を堪能できる、史上最高のオカルトスリラー。

 

・悪霊と疾患について

 

「エクソシスト」で悪霊に憑依された少女リーガンに起きる様々な症状を、医学的に診断するとこうなる、という記事を長崎大学病院精神科医師のブログに見つけました。

”嘔吐に加え、汚い言葉でののしるのはチック症の一種「汚言病」、後ろにブリッジして駆け回る「スパイダーウォーク」は神経症状の「後弓反張」(全身を硬直させ体を反り返らせる症状)、首が180度以上回転するのは「ジストニア」(筋肉の緊張によりけいれんや姿勢がゆがんだりする症状)ともみられ、ある種の脳炎を推定させる症状に合致します。

 その後、リーガンは悪魔払いの記憶を失ったものの自然回復していることから、非ヘルペス性脳炎が考えられます。診断基準に従えば、「脳器質性精神障害」の可能性が高いようです。"

引用:長崎大学病院精神科神経科ホームページ

 

作品が公開されたのが1973年ですので、現代の医学から見ると上記の診断が当てはまるのかもしれません。

 

リーガンの様子を見て、私が思い当たったのは強度行動障害でした。

強度行動障害の多くは、知的障がいや、自閉症スペクトラムに起因する二次障害であると言われています。

症状としては、自傷他害物を壊す奇声など。

発症の原因としては、障がいの不理解、生活環境や構造化の不全、行動の不理解、などが挙げられます。

 

私自身の経験から言うと、息子に具体的な強度行動障害の症状が現れたのは、6歳から7歳くらい。そこから徐々に問題行動は増え、ピークは12歳から14歳。

リーガンが12歳ですから、息子が12歳の頃の自分を振り返ると、理解も対応も全く追いついていない混乱の日々だったと感じます。何をどうすれば良いのか全くわからず、医療機関に通いながらあらゆる専門書を読み、神社にお祓いに行き、自閉症が治ると言われる怪しい商材に心が動いたりもしていました。

 

暴れる息子をリーガンに重ねた事は何度もあります。

 

その度に『エクソシスト』という作品を思い出し、息子の苦しみの原因が寧ろ悪霊であったなら、まだなんとかできたかもしれないのに、と思ったことを覚えています。

日本人の私にとって悪魔とはそれくらい遠い存在であり、非現実的なものでした。

 

ただ、リーガンの母親クリスの心境を考えると、そんな事は言えません。

キリスト教文化圏において、娘が悪霊に取り憑かれたという事実を受け入れなければならないということは、想像を絶する心労を伴ったに違いありません。

子どもに降りかかる困難を受け止め、向き合う事を覚悟した経験のある人であれば、その苦悩に共感を覚えずにはいられないでしょう。

 

 

・療育と悪魔祓いについて

 

2005年当時アメリカ合衆国における「常任」”祓魔師(ふつまし/エクソシスト)”の数は12名でしたが、現在は約100人に上ります。

医療技術の進歩が著しい現代社会において、エクソシストの需要が高まっているという事実に驚いた人も多いのではないでしょうか。

悪霊に取り憑かれた人が増えたというより、何らかの精神疾患から悪霊に取り憑かれたと思い込んだ人が増えたことで、エクソシストの需要が増えたということも要因の一つですが、それだけではありません。

エクソシストが増えたもう一つの理由は、悪霊取り憑かれたと思い込んでいる人々を標的とするカルト教団や、素人の誤った診断、行き過ぎた行為を緩和するために、ローマカトリック教会が神学や医学の見地から適切な対応を行える人材を育成し、公認のエクソシストを各地に派遣するようになった、という背景によるものです。

医療と悪魔祓いは、水と油のように相反するものではなく、人々の救済のためにはどちらも必要であるというのが現代の認識となりつつあります。

 

2005年当初、国内の特別支援学校の在籍者数は101612人でしたが、現在は146000人。毎年過去最多を更新中です。

エクソシストの需要の増加のように、知的障害、自閉症スペクトラムに関わる、支援者の需要も、支援者の数も増え続けています。

エクソシストが信仰と医療で救済を行うように、障害者支援は医療と教育で救済を行います。この医療と教育を合わせた言葉が、障害者支援において頻繁に耳にする”療育”です。 

以前から私は、特別支援学校の先生方や、障害者支援事業所のスタッフの方々に、エクソシスト的な佇まい(たたずまい)があると感じていました。

パニックや激しい暴力を伴った問題行動に対し、冷静に、毅然とした態度で障がいを持つ子ども達と向き合い、療育を行う姿は、『エクソシスト』に登場するベテラン祓魔師メリン神父のようです。

 

私自身も息子との生活の中で、エクソシストのような立ち振る舞いが有用なことは強く実感しています。

例えば、息子は、私の情緒にとても敏感です。常に私の表情や挙動を観察しています。そして、私が不安を感じていることを察すると、息子も不安になり、パニックや問題行動に繋がります。パニック時に息子の感覚はさらに鋭くなり、息子は私の感じている不安や動揺を明確なものとして確信するために、さらに問題行動を繰り返します。

私はパニックで暴れる息子に不安を感じさせず、エクソシストのような平常心、または、平常心であるかのように振る舞いながら息子を落ち着かせなければなりません。

しかし、そんな状況の中では冷静になることも、平常心も、ことのほか難しく、私がなんとか平常心を装ったとしても、そこに垣間見えた1ミリの違和感を息子が見逃すはずも無く、激しさを増す息子の大暴れに、私は平常心どころか感情的になってしまったりで、本当に上手くいかないことばかりです。

それでも運よくメリル神父のように冷静に毅然と平常心で向き合えた時は、被害は最小限に留まり、短時間で息子を落ち着かせることができます。

最近は少しだけコツのようなものも掴めてきました。

とても当たり前のことかも知れませんが、それは、目の前の息子と向き合っているのではなく、息子を苦しめる”何か”と向き合っている、と自らに言い聞かせることです。

 

療育と悪魔祓いが似たものに見えた理由も、実はそこなのではないかと思っています。

 

 

 

・ラストの解釈について

 

『エクソシスト』のラストシーンを解説するとこんな感じです。

・死んでいるメリン神父を見つけ懸命に心肺蘇生を行うカラス神父。

・その様子を見て笑うリーガンにカラス神父は殴りかかる。

・リーガンを乱暴に抑え込み「私に乗り移れ」と連呼する。

・悪魔に憑依されたカラス神父は、リーガンを殺そうと手を伸ばす。

・カラス神父が一瞬正気を取り戻す。

・カラス神父は自我を失う直前に自らの意思で窓から飛び降り命を絶つ。

・泣きじゃくる元の人格に戻ったリーガンと抱き合う母クリス。

 

以前、このラストシーン観た時、私はカラス神父の自己犠牲によってリーガンが救われたと解釈しました。

しかし、今回改めてこのシーンを観て、カラス神父は結果的にリーガンを救うことにはなりましたが、それはカラス神父が自分に悪魔を憑依させて無理心中したのではなく、カラス神父が自身の中に抑え込もうとしていた絶望や、暴力性といったものが、恐怖と怒りによって決壊し、理性を崩壊させてしまったように感じました。

そして、リーガンを殺したいという衝動に抗うために自ら命を絶った、と私には見えたのです。

では、なぜリーガンは正気を取り戻したのか、寧ろカラス神父を殺したことによって悪魔が(絶望が)勝利したのだから正気に戻る理由は無いではないか、という疑問が残ります。

私が考えたのは、もしリーガンを苦しめていたものが何らかの精神疾患なのであれば、原因の解明に重きを置き、過酷な検査を繰り返し行った医療行為に比べて、悪魔祓いの持つ心理療法的側面(精神分析や、カウンセリングなど)が効果をもたらしたのではないか、というのが理由の一つ。

もう一つは、病を押してまで自分と向き合おうとした存在(メリン神父)、絶望に呑み込まれながらも人間らしさを持ち続けようとした存在(カラス神父)に出会ったことによって、リーガンの中に生きる意義(希望)のようなものが芽生え、他者に絶望を与えるという目的意識が軽減したのではないかと感じました。

私の立場に寄せすぎたやや偏りのある見方かも知れませんが、本作がそれくらい解釈の幅がもてる、深く優れた作品であることは間違いないのではないかと思います。

 

”希望が(希望を持った人間が)絶望を萎えさせた。” この作品のラストが、私にはそんな風に見えたのですが、あなたはどう観ましたか?

 

 

・最後に

 

以上、ウィリアム・フリードキン監督『エクソシスト』を観て知的障害の息子を持つ私が考えた事、でした。

久しぶりの記事で長くなってしまいました。ここまで読んでいただきありがとうございます。今後もまた少しずつ更新していきたいと思ってますので、よろしくお願いいたします。

脱線しますが、私が『エクソシスト』シリーズで最も恐ろしいと思っているのは、『エクソシスト2』のリーガンが住んでいる高層マンションのバルコニーです。

最先端のデザインなのかふざけてるのかわかりませんが、高層階のバルコニーであるにも関わらず1メートルほどの間隔で柵が無いところのある柵という、目を疑うありえない構造の柵で、高所恐怖症の私にとってはあんな物件が存在していること自体、悪夢でしかありません。誰かあそこにちゃんとした柵を!危ないから!

 

 

 

 

 

 

 

 

監督:ウィリアム・フリードキン『エクソシスト』1973年

参考図書・リチャード・ギャラガー 松田和也[訳]『精神科医の悪魔祓い デーモンと闘いつづけた医学者の手記』(2021.9.20)国書刊行会

 

 

 

 

 

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