1885年、アメリカアリゾナ州ケーブクリークで初めてドクターペッパーは発売されました。
見た目はコカ・コーラに似ていますが、23種の原料(非公開)で作られた、オリジナルの清涼飲料です。
ドクターペッパーが日本で発売されたのは1973年。独特の風味は当時の日本人にはあまり馴染まず、私が幼少の頃は不味い飲み物の代名詞でもありました。
しかし、私はある出来事をきっかけに、ドクターペッパーが好きになります。
今回は、ドクターペッパーを飲めるようになった印象的な出来事について書いてみようと思います。
私の通っていた高校は日本最大の規模と卒業生を持つ大規模校で、ピーク時は3学年合わせて約1万人の在校生がいたといわれます。
その日、私は高校3年。高校最後の体育祭の当日でした。
1万人でやる体育祭は規模的にもなかなか凄まじいものがあります。プログラムの組体操一つとっても、北朝鮮のマスゲームのようです。
その会場に一台の大型トラックが到着しました。
真っ赤なボディにコカコーラと書かれたそのトラックは、観覧中の生徒たちに飲み物を販売するためにやってきました。
トラックから降りた販売スタッフと思われる人達は手際良く売店を設置し、しばらくすると、その売店には飲み物を買うためにやってきた生徒が次々と列を作り始めました。
私は飲み物を買った友達に「何買った?」と尋ねると、その友達は「ドクターペッパー」と答えました。
ドクターペッパー!?
しかも、特大サイズを選ぶとはなかなかの猛者だなと思っていると、また特大サイズのカップを持った別の友達が近づいてきました。私は「何買った?」と聞くと、その友達も「ドクターペッパー」と言います。あの不味いドクターペッパーをあえて選ぶ猛者に立て続けに出会うとは珍しい事もあるな、と思っているとその友達こう言いました。
「なぜかドクターペッパーの特大サイズしか売ってない」
驚いたことに、その真っ赤なトラックは、1万人規模の体育祭に"ドクターペッパーの特大サイズだけ"を売るためにやってきたのです。
マジか! よりによってなぜドクターペッパー?
よく学校許可したな! 許可したのだれ? 絶対ドクターペッパー好きだろ!まさか売れ残り?在庫処分?
と、いろいろな言葉が思い浮かびましたが、さすがにドクターペッパーは買う気がせず、喉が乾いても水道の水でも飲めばいいや、と思っていました。
しかし、気付けばあたりはドクターペッパーの特大サイズを持つ人だらけです。
男子も女子も、先生も、来賓の方も、そこにいるほとんどの人々がみな不味い飲み物の代名詞ドクターペッパーを飲んでいるではありませんか。
私は体育祭のはずが、いつのまにかドクターペッパー祭になっているその状況に驚きを通り越して恐怖を感じ始めていました。
ドクターペッパーの特大カップを持つ人々が溢れるドクターペッパーの国。の、ようになってしまったその光景。もしも、ドクターペッパー局地的瞬間販売量が計測されていたならば、確実に世界記録をぶっちぎりで更新していたと思われます。
隣りで当たり前のようにドクターペッパーを飲む友達。ついこの間「ドクターペッパーって不味いよな」と意気投合したはずなのにいったいどういうことなのか。私は隣りの友達に恐る恐る尋ねました。
「このまえドクターペッパー不味いって言ってなかったっけ?」すると友達は「うん、でも意外と飲めるよ。飲んでみ」と、特大サイズのカップをこちらに差し出します。
私は、これを飲んだら私もドクターペッパー星人になってしまう、と躊躇しましたが、その冷えたドクターペッパーへの好奇心に負け、ゴクリと一口飲んでみました。
「あれ?…うまい」
その日、特大サイズのドクターペッパーを3杯も飲んだ私は、それ以降定期的にドクターペッパーを飲まずにいられない身体となってしまいました。
今でも、ドクターペッパーを飲むたびにあの日出来事を思い出します。あのドクターペッパーの日はいったい何だったのかと…。
以上、全て実話の私のドクターペッパーの思い出でした。
もしも、これを読んだ関係者の方がいらっしゃったなら、是非とも事の真相を教えて頂ければと思います。あの日、体育祭でなぜドクターペッパーだけが売られたのか、いまだに気になっています。